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カンボジアでフリースクールをやってます。 スタッフと私の奮闘記です。
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↑ どこの駅だったか・・・。
 やはり、まだまだ鉄子にはなれそうにありません。

すでにタイトル自体、変わっていますが、
電車で横になった話 完結編。
↓その1
http://cambodia.blog.shinobi.jp/Entry/204/
↓その2
http://cambodia.blog.shinobi.jp/Entry/205/

読むのが、めんどくさい人のために、

山形から帰る新幹線に乗っていたら、
その車両が、
雪で道が見えずに、
間違って線路に入ってしまった軽自動車にぶつかって、
立ち往生。
(山形新幹線は在来線の線路を使っているので、
踏切から軽自動車が入ることができてしまう)

3時間ぐらいそこにいて、
夜の11時前に出発。
その頃には、さすがに、私のことを心配していた親も
あんたなら、旅好きだし、
何とかかんとか、帰るべ、と
電話をかけないように、との言葉を残して、
携帯の電源を切ってしまった。

とりあえず、再び走りだしたけど、
ぶつかって、前が多少べっこりしてるし
(後で前を見に行って、びっくりした)、
雪も降っているし、
何より、山形新幹線はミニ新幹線。
普通なら、仙台・盛岡から来る、
東北新幹線に引っ張ってもらって、
速く走ることが出来る。
なのに、その時間じゃ、東北新幹線も
とうに終わってしまっている。
自力走行、がんばれ、つばさ!!

まあ、走り出したので、ちょっと安心して、
隣の席に座っていた、友達との話も続く。
そして、またお腹がすいてきた二人。
うちの家族がお土産に・・・と
持たせてくれた、タッパーに入ったおかずを
次々と食べ続ける。

こういうときに、豪快な家族に本当に感謝。

外を見ると、吹雪。
友達と二人で、
その日、お葬式があった、友達が
「行かないで、もうちょっとここにいてよ。」
と、呼んでくれたんだろうね、と話していた。

だって、その時一緒にいた友達と、偶然会って、
二人が二人とも、終電で帰ろうとしたけど、
雪がひどくて、心配だから、前の電車に変えてた。
その友達とも、本当に何年かぶりで、会ったんだし。
死んだ友達が、交ぜてほしかったのかな、って。

そんなことを話しながら、
また、昔の思い出話なんかをして、
2時間半ぐらいたって、
友達が住んでいる大宮駅に到着。
タクシーで帰れんで、心配すねで(心配しないで)、
と言って降りていった。

そのまま、新幹線は、頑張りを見せて、
2時に、東京駅に到着。
今日は、車中泊かな、と思っていたとき、
車内放送が入り、
京浜東北線だけ走らせて、
横浜までの主要な駅は、止まると言う。

横浜駅に自転車が止めてあるので、帰れる!!

というわけで、京浜東北線に乗る人だけ降りて、
他の人は、毛布を配られ、車中泊。
それはそれで、貴重な体験なんだろうけど、
次の日の朝から仕事だし、
布団で寝たかった。

人のいない東京駅。
絶対ありえないことなんだろうけど、
薄暗くて、がらーんとしていた。
急行券の払い戻しもしてもらって、
京浜急行のホームへ。

乗る人は、全部で、30人もいなかっただろう。

私以外は、みんな何人かのグループで、
なんとなく、1グループ1車両に。

ということで、
私一人で、1車両ゲット!!

車両に、一人だけって、胸が高まる。
横浜駅まで、時間もたっぷりあるし。

とりあえず、網棚で懸垂。
・・・1回で脱落。

次につり革につかまって、
次から、次へと、つり革を渡っていく。
・・・つもりだったが、どうしても、足がついて、変な感じ。

次に、子どものように、
横座りの椅子に、反対に正座をして、外を見る。
・・・暗くて、何も見えぬ。

普通に座りなおして、
向こう側のガラスに、写る自分の姿を発見。
変な顔をしてみる。
・・・むなしさ倍増。

網棚の上にも上ろうとしたが、そんなことも出来るわけもなく。

そして、最後がこれ。
昔から、電車の中で、見る度に、
むかつきの一方、憧れのまなざしを向けていた、
酔っ払いの、何人分もの座席を占領しての、
横になっての爆睡。

ずっと、やりたかった、あれを実現する日が。

電車を愛する私として、
靴をそろえて、脱いで、座席に、横になる。
ふかふかと言うのには微妙な感じ。
ちょっとゴワゴワした感じもして、
慣れてないので、なんとなく不思議な感じ。
でも、微妙に角度を変えると、
かなり気持ちよく眠れそうだ。

まあ、私はそのドキドキ感を持続させたまま、
横浜駅まで、ゴロゴロしていた。

横浜駅で、電車を降りるときの、名残惜しいこと。
こんな経験、たぶん一生で、もう二度と出来ないだろう。
一人で一両占領だけでも、かなり価値ありだし。

そして、電車を降りて、あまりの寒さにびっくりした。
その横浜駅から、寒さに震えながら、
自転車に乗って、帰宅。
あまりの寒さに、布団をかぶって、速攻寝た。
ヒーターを待つなんて、とても出来ないぐらいだった。

次の日、会社に行くと、
みんな、その事故を知っていて、
みんながみんな、私がその電車に乗っているような気がしていたら、
本当にそうで、びっくりした、と。
そういう事件がある場所に、私がいるイメージがあるのだと。
そして、いるからと言って、別に害があるわけではない、までが、
イメージらしい。

関係ないけど、
その友達が死んだ後に、
何か、やりたいことがあったら、
早いうちにやっておいた方がいいのかな、と
考えるようになった。

その時、勤めていた会社が、
月の残業時間が、150時間とかになる会社で、
あるとき、私は風邪を引いてしまった。
早く帰って寝れば、治るのに、
残業しないと帰れずに、
そのまま気管支炎になってしまった。

そして、あまりにゼーゼーした咳が出るので、
このまま、肺炎にでもなったら、どうしようと、
夜10時に帰ろうとしたら、
上司に、じゃ、今日は早退だね、と言われ、キレました。

何日か後に、上司と、会社を辞める話をして、
ちょっとは引き止めてもらったけど、
時間のムダです、とはっきり言えた。

結局、退職願を出している人がかなり多い時期だったので、
その半年後にようやく辞めさせてもらったけど。

あの時、辞める力を与えてくれた友達がいて、
今、やりたいことをやっている自分がいるような気がする。

感謝して、ヤツを超えるような人間になりたい。
あれから、7年経っても、まだ当分超えられそうにないや。



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↑ ラ・ラ・ラ。
 裸(ラ)ですよ。
 年の頃、5~6歳です。
 この姿で、普通に遊んでますから。
 友達もあまり気にすることもなく。

海外生活も5年目。
今までの南国暮らし。
私には必要がないと思っていたもの。
ついに、ベトナムの冬には必要と買いました。

ドライヤー。

今までは、朝髪を洗えば、
会社に着くころには、すっかり乾いていたのですが、
さすがに、この寒さには・・・。
一応、頑張って、パナソニック製のを買いました。

昔、ラオスで建築の仕事をしていたとき、
三菱のエアコンを注文したんですが、
エアコン屋に、シールだけ三菱だと、
もっと安くなるよ、と言われました。

事実、聞いたことのない、韓国製のエアコンに、
三菱のシールを貼ると、
一気に価格アップ!
で、設けている会社でした。


始まったシリーズがなかなか終わらない、で
おなじみのこのブログ。
電車で横になった・・・は、次に書きます。

どうしても、今日は、これを書きたくて・・・。

何日か前に書いた、企業が求める人材とは、の続き。

私が働いているのは、日系企業。
なので、いつも、日本語を話せる人材を求めている。
ただ、あまり大きい町ではないので、
一度町に出た人は、なかなか戻ってこない。
(と言っても、一応、ベトナムでは3番目に大きいらしいんだけど)

だから、日本語が話せる人となると、
やはり大きい町の大学(日本人の先生がいるような)の
日本語学科で学んだ人になる。
しかし、うちの町出身でも、
日本語を学んで、大学卒業後、
戻ってくる人はあまり多くない。

よく大きい町で、日本語教師会というのがあるので、
私は、会社の募集要項を持って、
日本人の先生たちに、いい人を紹介してくれ、と
頭を下げて回っていた。
大学の先生たちにも、電話をかけて、
お願いをしたり。
別に、私の仕事ではないけど、
今の会社が好きなので、
他の日本人が、少しでもいい状態で働けたらいいな、と
自分から、動いていた。

いろんな人に声をかけていたところ、
ある知り合いの先生が、よさそうな人を紹介してくれた。
有名な大学の日本語学科出身で、
日本に1年留学していた、女性。
この町の出身で、向こうのほうから、
興味を持って、その先生に質問してきたそう。

最初の段階で、給料がこれぐらいで、
こういう条件で、とメールで書いて来ていて、
できたら、希望の給料が保障できる、との
メールがほしい、とのことで。

まあ、会ってもいないのに、それはないべ、と
とりあえず、面接をすることにした。
先週の月曜日に電話をして、
先週のうちに会えないか、と聞いたところ、
クリスマスがあるから、と今週(火曜日・つまり今日)面接を
することになった。
クリスマス!?と思ったけど、そこは我慢ガマン・・・
他の会社も受けているんだろうな、と思いつつ、
そこは大きい心で。

社長、工場長、部長の予定も、全部抑えて、
思い出すのは、昔の住宅営業マン時代の
お客さんと、業者のアポイントを取るのに、
必死だったあの頃。
自分、サラリーマンの方が向いてる!と確信するぐらい。

そして、昨日、この女の子に確認の電話をしてみた。
すると、あー、と忘れてたんだか、なんなんだか。
「明日、来られるの?」と聞くと、
「私は、家族の問題があって、
今は大きい町にいるので、
今日、帰ったら、電話をかけます。」と言う。

なんなんだよ、家族の問題って。
普通なら、心配するところだけど、
そういうことは、向こうから、言ってくるものだろう、と
私の中では、すでにアウト。

でも、社長とかにアポ取った手前、
面接だけには、こぎつけた方がいいのか?と
黙っていることにした。

そして、待てど暮らせど、電話が来ることもなく、
今朝、改めて、電話をかけてみた。

すると、「すみません、昨日、携帯を失くして、
電話かけることができませんでした。」と。
もう、勘弁と思っていると、

いきなり、「私、昨日、心に変化がありました。」と。
「は?」
「昨日、私の彼の仕事が、○○(大きい町)で決まりましたから、
私も○○で仕事を探します。
今まで、彼が××(私が住んでいる町)で働いていましたから、
私も××で、働こうと思いましたが。」

あー、それで、クリスマス待ちか!!
私も、もうどうでもよくなって、
「はいはい、お幸せに。それじゃ。」と適当に。

私も普通なら、一般常識について、とつとつと、言うところだが、
それが女の幸せだったら、言うことはないと。

それから、社長達に、謝って回った私。
でも、私以上に、紹介してくれた、
日本人の先生、立場なしでしょ。

というわけで、
また、再来週の日本語教師の集まりでも、
募集広告を配らねば。





その1の続きで。

友達のお葬式に行って、拝んで、
実家へ帰ってきたのが、1時ぐらい。
親に帰るって行ってなかったので、驚いていたが、
なんとなく帰ってきそうな気はしていたそうだ。

お正月は仕事で帰れなかったので、
夏休み以来の帰省。
ちょっとのんびりして、
終電1本前の新幹線で、東京に帰ることにした。
当時、横浜から自転車で15分ぐらいのところに住んでいて、
終電で帰ると、家に着くのが12時過ぎるという計算の元、
1本前のに乗ることにした。

雪降りの中、親に駅まで送ってもらって、
新幹線に乗り込む。
飲み物を買って、週刊誌も買って、
どこかいい席がないかな、と探していると、
高校時代の友達と3年ぶりに会う。
彼も、お葬式に来ていて、埼玉に帰るところだと言う。
彼も、一緒に、家にたまっていたメンバー。
隣に座った。

新幹線が出発してからも、
友達の思い出話をしては、懐かしく思っていた。
その友達は、かなり豪快なにーちゃんだったので、
奴は、天国へ行く前に、大雪を降らせたね、
今晩、地震でも起こすんじゃねー?
なんて、話していた。

そして、出発、40分後ぐらい。
話も続いているときに、

ガタン!!

という衝撃とともに、新幹線が止まる。

大雪だし、
木でも倒れて、引っかかったんだべ、と
お菓子を食べながら、話す二人。

それか、友達が私たちを帰らせたくないって、
呼びとめたのか?と(今でも、ちょっと思ってるけど)。

実は、雪で道が見えずに、
軽自動車が線路を走っていて、そこに新幹線が突っ込んだのだ。

シューという音とともに止まったまま、全く動かない新幹線。
1時間たっても、2時間たっても、全然動かない。

その頃になると、二人ともおなかが減って、
私のお母さんが持たせてくれた、
おにぎりとか、果物とかを二人で分ける。
晩御飯と言って、
おにぎりを4つ持たせてくれた家族に感謝。
それ以外にも、ふかし芋もあったり、
みかんも大量にあって、助かった。

その頃になると、車内で、
最終の新幹線が、仙台行きの電車に振り替えて、
仙台からの新幹線で客を乗せていったとの放送。
終電にしたほうがよかったか?と、二人で話す。
でも、話す人がいたので、
特に、不満もなく、事故なら仕方がない、と諦めて、
ゆっくり話していた。

今日は、ここで、夜明かしか?と思ったときに、
ゆっくり新幹線が発車。
すでに、そこで3時間ぐらいたっていた。

また長い?
次へ。




自分は、日本語教師より、サラリーマンに向いている、
という、結論を出して(人事部長も納得)から、1ヶ月。
会社の忘年会をサボって、家でダラダラ。
忘年会の会場が、家の近所なので、
外に出ることも出来ず、You Tubeで、タモリ倶楽部を見る。

言い訳を言わせてもらうと、
だいぶ前に、人事の部長が、忘年会があるよ、
と言ってくれたのだが、
その時に、人が多いところは苦手と、
軽く断っておいたので、セーフ。
250人も来る忘年会なんて、私的には、かなり辛い。
むかしは、5人以上は、勘弁と、
友だちの誘いを断ってたぐらいだ。

さて、普通に、日本にいた時の話。
しかも、かなり前の話。

ちょうどタモリ倶楽部を見てたら、
タモリ倶楽部お得意の鉄道ネタ。

私も鉄オタほどの知識はないが、
かなりの電車好き。
今でこそ、海外フラフラの私だが、
大学の時は、国内の電車に乗るのが好きだった。
特に、時刻表を見て、乗り換え時間を計算しては、
1日でどこまで遠くに行けるか、試してみたり、
18切符で旅行をしては、
乗った電車の路線図に色を塗ったり、
もうすぐ廃線になる電車に乗っては、写真を撮ったりしていた。

さて、今日は日本での電車関係の話。
しかも、かなり前の話。

遡ること、7年前。
当時、普通に社会人をしていて、社会人2年目の冬。
高校で仲良くしていた、男友達が亡くなった。
高校時代は、よくそこの家にたまっては、
くだらない話をしたり、色恋話をしたり、
宇宙や物理の話をしたり、勉強したりしていた。
(そこの家にたまっていたメンバーが、
みんな遊びもするけど、勉強もできるという人ばかり)

その友達が、大学院の時、
病気で、雪の中、倒れて死んでしまったのだ。
その話は、自分の中では、もう整理はついた。

で、今日は、電車の話だから。
それで、お葬式の日は、日曜日で、
私は、日帰りで実家に帰った。
朝8時ぐらいの新幹線に乗って、
山形駅から、タクシーでまっすぐそこの家へ。
雪が積もっている上に、
さらに、雪が降ってきて、かなり寒い日だった。

長いので、次へ。







↑ 前回に続いて、インド・チェンナイの海。
 男率、たかっ!!
 一応、夜になると、ロマンチックな感じになります。

前回の社員旅行の話を書く前に、
どうしても、今日はこれを書かねば・・・。

私は、日系企業で、日本語を教える日本語教師。
普通、日本語教師と言うと、
まず、民間の学校や大学で教える人が多いが、
企業で教える人もいる。
特に、インドになると、IT企業が多く、
日本語研修が終わると、
すぐに、日本に行く研修生が本当に多い。

私がいるベトナムでは、
企業に固定でいる日本語教師は珍しく、
ほとんどが、企業に派遣される形で、
いくつかの企業を掛け持ちしていることが多い。

ちょっと前のスピーチコンテストで
自分の学生が優勝してから、
うちの会社も、多少は、注目されるようになったみたいで、
他の日本語学校で、企業研修を考えているところや、
日本語を社員に教えたい企業からの
問い合わせが、たまにだが、あるようになった。

ちょっとおかしかったのが、
日本語教育のシンポジウムがあって、
うちの会社の人事部長が、
「企業が求める人材」というテーマで、
日本語教育関係者や、
ベトナムの文部科学省の人たちの前で、
話をしてほしい、という依頼だった。

たぶん、依頼をしてきた人が話してほしいのは、
たぶん、ビジネス会話ができるとか、
敬語が話せるとか、
日本のビジネスマナーがわかるとか、
部長も私も、そんなのは、全く求めていなくて、

1、時間を守る。
2、うそをつかない。
3、言い訳しない。
4、分からないことは、分からないと言う。
5、ノートをとる。

そんな子どもでも分かるようなことが
できるようになるまででも、
一苦労であり、
本当に求める、自分で仕事を見つける、
に行くまでは、いったいどれだけかかるのだろう。

自分の学生とか、
そんなに、日本語が上手じゃなくても、
日本語で、仕事をしているし、
(うちの会社の日本人が、心が広いのか)
たまに、タメ口で話しても、
なんとなく、上手くやってる。

まず、日本語どうのこうのより、
(確かに話せたら、うれしいけど)
社会人として、どうか?が大切なような。
それか、相手のことを考えられるか、とか
人としてどうか。

インド人もベトナム人も、
プライドが高い人が多く、
自分が一番で、人の話を聞かない人が多い。
しばらく、外資の企業で働くと、
いろいろ見えてくるかは、だいぶ良くなるし、
負けを認めた時は、
急に、そのやり方べったりになるが。

外国で働くときには、
その国民性を理解することが必要だ。



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