カンボジアでフリースクールをやってます。
スタッフと私の奮闘記です。
× [PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。 ↑ 先週は春節で、中国正月(旧正月)。 中華系の多いカンボジア人の家は、 お祝いで、みんなご馳走を食べていました。 ものすごくきれいな照りで。 最初に、前回の記事ですが、削除することにしました。 自分もサラリーマンで、 もし、頑張っているのに、 自分の会社が、何か言われてたら、いやですし、 人によって、考え方はいろいろあるので、 私自身も、もっと、周りのことについて、考えるべきでした。 さて、カンボジアに行ってきたので、 ネタの宝庫です。 いくらでも書けます。 今回の滞在は、9日間で、 本当に実りの多い時間でした。 子供たちを見て、 今までのボランティアの方が、 いろいろ工夫してやってくださったのが、分かりました。 けっこう、日本語を話している子もいて、 びっくりしました。 そして、ボランティアの方の写真を見たり、 センター宛に送ってもらった手紙を見て、 子供たちに、いいお兄さんやお姉さんができたんだ、と うれしくなりました。 ご支援いただいたものを 自分の目で確認することができ、感謝を新たにしました。 ゴミ山で活動している団体の方と会って、 ちょっと時間はかかりそうですが、 ゴミ山の子供の職業訓練の道筋が ちょっと見えてきました。 以前に、ボランティアに来てくださった方の紹介で センターに来られた方が 折り紙を教えてくださいました。 最近、このように、紹介等の横のつながりが 少しずつ増えていて、本当にうれしく思います。 このブログを読んでいる方が、 リンク先のブログを読んだり、 書き込みをしていたりするのを見たり。 以前に、リコーダーをいただき、 そのリコーダーを、 他のボランティアの方が教えてくれたり。 センターが始まった頃は、 自分たちだけで、試行錯誤していたのが、 今は、いろいろな人に助けてもらっていて、 気持ちが軽くなってきました。 その分、責任と重みはありますが。 さらに、そんな輪が広がっていて、 この輪が大きな輪になって、 何重にも交差していったら、いいなと思います。 PR
↑ 洋服を配り終えて、一安心。 みんなの笑顔を見て、左側のソレンさんも笑顔がこぼれてます。 本当に先生というより、アニキってほうが しっくりくる感じです。 カンボジア教育事情、その2ですが、 たぶんまたちょっと曲がった方向に行きそうな予感。 まず、カンボジアの人口は1300万人。 日本の10分の1。 その中で、両親又は、どちらかの親を亡くした孤児は67万人。 17歳以下の子どもの5割が、 何らかの仕事をしています。 農業や漁業が中心ですが、 地方での農業は給料も安いので、 都市に出て、ごみ山で働いたり、ごみをあさったり、 物乞いをしたりしている子どもも増えている。 1975年から1979年に起こったポル・ポト時代の虐殺で 小学校教員は1/8の3000人、 中学校教員は1/10の200人しか 生き残れなかったそうだ。 今の学校の先生も、多くが20代。 ちょっと年がいってても、30代前半である。 教育とはずれるけど、 乳児死亡率(1歳未満)子ども1000人中 日本 3人 カンボジア 97人 5歳未満児死亡率 日本 4人 カンボジア 140人 そう、カンボジアでは子どもの10人に1人が、1歳未満、 7人に1人が、5歳未満で死んでしまうのだ。
↑ 5月に子どもの日のパーティーをしたときに、 支援者にもらった水筒を、今も大切に使っています。 まだ、暑い日は続いているので、 うちから水を持ってきて、勉強の合間に飲んでます。 世の中つながってるその3。 ちなみに、その1↓ http://cambodia.blog.shinobi.jp/Entry/162/ その2↓ http://cambodia.blog.shinobi.jp/Entry/172/ 勤め始めたカンボジア人教師のみの学校。 この中に、日本人女性と付き合っている(と言っている) 教師がいた。 アンコールワットの町、シェムリアップでは、 旅行ガイドとか、ホテルやゲストハウスのスタッフ、 バイクタクシーのドライバーまで、 日本人女性と付き合っている男の人は多い。 (旅行に来て、知り合って、その後、遠距離とか) でも、プノンペンで、日本人女性と付き合っている カンボジア人は少ないように思う。 その当時、もうすぐ日本に行けます!と張り切っていて、 私と話して、会話の練習なんかをしていた。 その後、行けたかどうかは、分からないけど。 日本人と付き合う→日本に行けるという思いは みんなにあるようだ。 カンボジア人にとっては、まだまだ夢の国。 さて、戻って。 その学校で働くこと3ヶ月。 学生にも慣れ、なんとなく、下地もできたので、 後は彼女を待つのみ。 私も、その時は、生活費はかなりの持ち出しをしていたので、 帰国日の調整もしなくちゃいけなかった。 しかし、待てど暮らせど、彼女からの連絡がなくて、 どうしようと思っていたところ、連絡があって、 カンボジアに来る日が遅くなるので、 ゴールデンウイークの前に引継ぎを終わらせる予定が、 引継ぎをする時間がほとんどないと言う。 その後、彼女もカンボジアに来て、 しばらく私の家に、同居。 結局、2日ほどで、引継ぎをして、 なぜか、私が契約書類の作成をして、 後は、彼氏が生活のサポートすると言うので、 新しい家も決め、 カンボジアでの彼女の新生活サポート。 私も何日か後に、帰国。 その数ヶ月後に、二人はプノンペンで結婚式をあげた。 てっきり幸せに暮らしている、と思いきや、 彼女が肝炎にかかって、日本に帰ってるという話を 風のうわさで。 その後、彼氏のほうに紹介したい仕事があって、 知り合い一同、二人がどうしているか、 一斉調査をしたのに、全然行方が掴めず、 彼の田舎にでも、行ったのかな?なんてうわさをしていた。 すると、静岡に住んでいる、私の飲み仲間の姐さんの 学生として、彼氏のほうが、日本語学校で勉強している、と言う。 いや、世の中はつながっている。 最近、静岡は何かつながりは感じている。 私が今、働いている会社は、静岡に大きい工場がある。 自分の学生がスピーチコンテストに優勝したけど、 仕事の関係で、副賞の日本研修旅行は キャンセルせざるをえない、と思っていた。 すると、研修旅行のスポンサーの団体が、 富士の団体なので、静岡工場勤務をしながら、 調整できないか、と言ってきた。 会社のほうも、大使館側からのプッシュもあり、 平日は工場研修、週末を利用して、 日本研修(観光)をできるように、調整中である。 世の中、つながっている。 そうやって、世の中を泳いでいる自分。 |
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