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カンボジアでフリースクールをやってます。 スタッフと私の奮闘記です。
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↑カンボジアで初めて出来たデパートで、
 確か4,5年前に出来たような。
 去年はここから飛び降り自殺をした人も出たそうです。

只今、カンボジアの学校のほうに、
ボランティアの方が来てくれています。
先週は大学生の二人が、
今週はそのうちの一人が引き続き
授業の手伝いをしたりや子供たちと遊んだりしてくれています。

4月にボランティアの方が2人が初めて来てくれた時は、
まだ、子供たちもおっかなびっくりだったようですが、
さすが、子供。
すぐ慣れて、そしてかなり楽しかったらしく、
2人が帰った後に、
急に日本語を勉強したいという意見がどんどん出てきたぐらいで、
子供たちもすっかり日本人好きになったようです。

そして、ちょっと期間があいて、
今回のボランティアの方の登場だったので、
かなり待ち焦がれていた模様。

スタッフから話を聞くと、楽しそうにしているということで、
私もうれしく思いました。

皆さん、暑い中、来ていただいて、本当にありがとうございます。
小さいことかもしれませんが、
カンボジアと日本がちょっと近づいた気がします。



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↑ プノンペンの昼間の風景。
 ぼーっと客待ちのバイタク。
 なんとなく好きな風景です。

さて、今日の話はNGOの話。
私が今までにいた、いろいろな国は、いわゆる発展途上国。
有象無象にNGOがある。
発展途上国は、援助でもっているようなところもあって、
ちょっと援助慣れしているのを感じたりもする。

NGOはだいたい二つに分かれていて、
しっかりと目的意識を持って、現地の為に、がんばっている団体。
もう一つは、寄付でちょっと儲けるか、聞こえがいいから、やってる団体。

まあ、カンボジア・ラオス・インド・ベトナムでNGOをやってます、
なんて言ったら、そりゃ、聞こえはいいし、寄付も集まるだろう。

なんて、ただの私の僻みか。
本当はかなり羨ましかったりする。
たまに何かいただくこともあるけど(あ、ありがとうございます)
運営費は全く寄付には頼ってないので。
ただ、寄付を集めて、自分たちのやりたい方向性と
ちょっとずれるのがこわいのと、
もう少し資金があったら、職業訓練とか、幅を広げられるのに・・・
という複雑なところ。

関係ないけど、
昔、ラオスで、ラオスの子供に靴を贈ろう、という
イベントがあって、自分の学生に連れられて行った。
ビエンチャンのメコン川沿いのけっこう目立つ所。
日本人がスニーカーをただで配ってて、
そこに厚底のサンダルを履いた、
それなりにおしゃれな子たちが、もらいに来てた。

配る場所は、もうちょっと山奥の村でお願いしまっさ。
山や村には、本当に裸足で山に山菜を採りに行っている
子も多いんで。


↑大きくしてみてください。
  日本から中古車だと思われるんですが、
  ガラスにヤンキー張りのカッティングが・・・。
  プノンペンの街中で見かけて、思わず写真を撮っちゃいました。

昨日、書いたラオスの医療事情の続きで。
ただ、私は保健とか医療は全く専門外なので、
細かいことを語ることはできないが、
ラオスの田舎で働いていた時は、
近くの町に日本のNGOや協力隊の人が入っていて、
その地域の医療状況は、かなり改善されているようだった。

それらの人の中には、仲良くしてもらった人もいて、
僻地で本当にがんばってやっている人が多くて、
本当に頭が下がる思いだった。

さて、私が勤めていた某会社で、
その田舎に地域貢献の一環として、福祉施設を建設したのだが、
そこに私がヘビの血清を置きたいという話をした。
というのも、ラオスではヘビの血清は
たぶん手に入れるのはかなり難しく、
その村でも、その年にすでに、二人が毒蛇に噛まれて、
死んでしまったということだった。

というわけで、どんなルートをたどれば、手に入るか、
会社のラオス人幹部に聞いたところ、
血清を手に入れるのは、かなり難しいので、
祈祷師を常勤させておいたほうがいいのでは?という意見。

もっと詳しく尋ねると、
そこら辺では、重い病気にかかると、
まずは、車で1時間ぐらいの町の大きな病院に行くが、
それで原因不明だと、あとは祈祷師に祈ってもらうという。
その幹部って、ドイツ留学経験があって、
国際的な常識があると思ってたんだけど。

まあ、田舎に行けば、そんなもん。
近くの診療所の人に聞くと、
血圧計がほしいという声が多数。
ベッドは、木のベッドの上にゴザが敷いてあるだけだったり。
どこにでも、格差はあるけど、
命の大切さに格差はあってほしくないな、と。

日本のボランティアの人たちが
乳幼児の死亡率を下げる為に頑張っているのは、
本当にえらいなと思います。



↑ 一緒に働いていたスタッフと。
 珍しく私もラオスの伝統服のシンという
 巻きスカートを履いています。

というわけで、前回のインドに引き続き、
各国医療事情ラオス編。
と言っても、ラオスで病気になって、
医者に行ったことがないので、コメントは書きづらいんだけど。
とりあえず、薬はタイ製の薬が入ってきているので、
結構充実している。
まあ、これに関しては、また次の機会にでも。

まあ、病気では行ったことがなくても、
病院にいったことはある。
一部で知られている、私の趣味、献血マニア。
今のところ、献血回数33回を誇っている。
行ったのは、世界遺産の町、ルアンパバーンの赤十字に
併設されている診療所。
1ヶ月ぐらい、滞在しているときに、そこの赤十字のサウナと
マッサージにほぼ、毎日行っていて、
そこのおばちゃんと話しているときに、
私が献血好きという話が出た。
おばちゃん曰く、併設の病院で、献血してくれる人を
募集しているから、話をしてくれると。

そして、マッサージが終わると、その足で、併設の診療所へ。
ラオス第2の町の1、2の大きさの医療施設のはずなのに、
その大きさは本当に診療所。
6畳位の待合室と、4畳半位の診察室。
診察室には、ベッドが一つと医者の机のみ。

私が行ったら、医者と看護婦が出てきて、ちょっとアタフタ。
一応、壁には、献血してくれ、のポスターも。
ある程度、献血慣れしているので(本当ヤな患者)、
最初に注射針が新しいかをチェックして、
いつもはこっちの手で血を採っていて、
血管が逃げやすいので、注意してほしいと話す。

最初に、ラオス語と英語の健康チェック書を書かされ、
それを医者が見て、まあ大丈夫だと。

日本だと、最初に成分をチェックして、
OKが出たら、血を採るけど、そこはラオス。
いきなり、血を採ろうとしてた。

とりあえず、消毒薬にかぶれないかのチェックだけをして、
いざ、採血。
看護婦さん、かなり緊張気味で、見事に血管をはずしてしまい、
左手から右手に採血する手を交換。
でも、これは日本でもよくあることなので、気を取り直して。
今度は成功。
400ml採ってもらい、しばらくそこで寝てるように言われる。

その後、看護婦さんと世間話をしていたら、
献血に来る人なんて、今までほとんどいなかったし、
たぶん外国人は初めてだと。
お茶をご馳走になって、
ラオス赤十字のXLサイズのTシャツをもらって、終了。
えらく感謝されて、診療所を後にする。

それから、自分の学生のうちに遊びに行ったんだが、
ヤツの義理のお兄さんが、医者。
自称、ルアンパバーンでは5番目に有名な医者。
しかも、医者の養成学校の先生。
そのお兄さんに、今献血に行ってきた、という話をした。
すると、お兄さん、激怒。
献血なんて、するな!と。

いや、私、いいことしたと思うんですけど・・・。
兄さんが言うには、
献血を30回すると、死んじゃうらしい。
いえいえ、間をあけてますが、
私、献血回数33回ですぜ、もう死んでるって。

でも、兄さんの名誉のために言わせてもらうと、
私の学生と私二人で、何か悪い食べ物にあたっちゃったとき、
お尻に注射してもらって、しばらくして元気になったので、
まあ、合格ということで。

ラオス編は他にもあるので、また後日。


↑ ラオスで一緒に働いていた、学校のスタッフです。
 男のスタッフは田舎に帰っちゃったんですが、
 女のスタッフとは、今でも仲良しです。
 この時、給料50$でしたが、
 次の仕事先では給料400$になってました。

日本のニュースを、よくチェックするんですが、
すごく気になったのがあったので。

東京・日比谷公園で知的障害のある息子を刺殺し殺人罪などに
問われた母親が20日、 東京 地裁で懲役7年の判決を言い渡された。
母親は自らの生い立ちを我が子に重ね合わせ、
「かわいそうだから」と殺害の動機を法廷で語っていた。
「経緯には多分に同情の余地が 認められる」。
青柳勤裁判長はこう言いながら「自らの思いこみから
息子の将来を一方的に 悲観し、 殺害した。
独りよがりのそしりはまぬがれない」と述べた。

母親は埼玉県川口市の無職横山志津江被告(52)。
昨年6月10日夜、小学5年の 次男翔君 (当時10)を
果物ナイフで刺殺し、自らも自殺を図ったが死ねなかった。

判決などによると、横山被告は、母子家庭で育ち、
9歳で母と死に別れた。軽い知的障害があり
養父母から虐待を受けた。結婚して2男2女をもうけたが、
夫は借金を抱えて失跡し離婚した。
次女は1歳7カ月で髄膜炎で亡くなり、
重いぜんそくだった長女も16歳で死亡した。
生活保護を受けながら総菜屋などで働き、
知的障害のある2人の息子を育てたが、 
次男の 翔君は小学校に行きたがらなくなった。
「いじめを受けている」。そう思いこみ、悩んだ。

「死ぬ前に一度乗せてやりたい」。
2人は新幹線で新潟の温泉宿に向かった。
翌朝、睡眠薬と 缶酎ハイを翔君にも飲ませ、
山中で死のうとした。
翔君が眠らなかったため新幹線で東京に 戻り、
日比谷公園を目指した。
夜になり、眠りについた息子をベンチに寝かせた。
「翔君、ごめんなさい」。果物ナイフで胸を突き刺した。

「翔と自分とはイコール。ああするよりほかにありませんでした」。
公判で殺害の理由を問われた 横山被告はこう述べた。

検察側は懲役13年を求刑した。
弁護人は「被告の身に起きたことは一人の人間が抱える
ことができる 許容量をはるかに超えている」と訴えた。

「喜びや楽しみ、悲しみや苦しみも含め人が
生きていく上で経験するであろうことを翔君も
経験できたはず。これを奪う権利は何人にもない」
裁判長の言葉を、横山被告はじっと法廷の床を見つめながら聞いた。
http://www.asahi.com/national/update/0721/TKY200707200588.html 


裁判傍聴マニアでいろいろな事件を見てきましたが、
これを読んだとき、思わず泣いてしまいました。


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