カンボジアでフリースクールをやってます。
スタッフと私の奮闘記です。
× [PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。 ↑ インドで近所の空き地にテントを張って住んでた家族。 なぜか、たまに休みの日は遊んでました。 これはお手伝いの風景。 飲み水を購入、運んでます。 今回もまじめニュースで。 ベトナム・ホーチミン市の裁判所は26日、 ベトナム人女性129人を台湾やマレーシアに 売り飛ばしていたとして、 人身売買の罪でベトナム人の女(35)に禁固12年、 夫の台湾人に 禁固7年の判決を言い渡した。 このほか、この夫婦の仲間の4人にも禁固5―10年の 判決が下された。 タインニエン(電子版)が伝えた。 犯行グループは2005年以降、 女性の送り込み先を台湾からマレーシアに変更。 高齢者や身体障害者と結婚させるため、 1人1500―2000米ドルで女性をマレーシアに売り飛ばしていたほか、 マレーシア国内のバーで 1万7000―2万5000リンギで女性を「直販」していた。 直販って・・・。 野菜の産地直送で見るけど。 このブログには、すでに何回も登場のベト子。 古いブログを読む元気のない人のために簡単に書くと、 前にカンボジアで勤めていた学校の校長の彼女で、 ベトナム人なんだけど、いろいろあって、プノンペン在住。 ベト子は自称私より3,4つ下なんだけど、 なんとなく同年代のにおいがプンプンしてて、 大好きな友達で、今は連絡も取れないけど、 また会いたいと思っている。 彼女ぐらい仲良くした外国人の女友達はいないぐらい。 そのベト子なんだけど、 私がカンボジアを去って、ラオスに勤めていた頃、 風のうわさっていうか、関係者から聞いた話、 校長のお金を持ち逃げをして、トンヅラしてしまった。 悪いことだし、かばうつもりはないけど、 兄弟にたかられたり、親が家を建てたりで いろいろお金が必要だった模様。 持ち逃げしたのも、まあ結構な額なんだが、 そのうちなくなり、次に彼女は上の記事に近いようなことになった。 又聞きなので、多少ズレがあるのは、勘弁。 アメリカ人のおじいちゃんにもらわれていって、 2万ドルを手に入れたそう。 こっちの2万ドルなんて、日本でいうと10倍の価値はある。 そういうわけで、以前、一緒に働いていた同僚の人たちと、 ある意味、幸せになってよかったのかな、なんて話していた。 (そう言えちゃうぐらい、ベト子の人生は山あり谷ありというか、 1冊の本にできちゃうぐらいの代物) しかし、また、その何ヵ月後かに耳に入った話。 その話もどっかで食い違っていたらしく、 本当は結婚話で騙されて、 結婚して、マレーシアに住む予定が ただ単に、マレーシアの工場で、 かなり劣悪な労働条件で働かされていたそう。 結局1,2年でどうにかこうにか、ベトナムに帰って、 今はベトナム人と結婚して、縫製工場で働きながら、 慎ましく暮らしているそうだ。 これは小さいけど、本当の幸せだろう。 お金を持ち逃げしているので、 本当は肩を持っちゃいけないのは重々承知。 でも、彼女の人生は本当に苦労の連続なので、 本当に幸せになって欲しい、と思っている。 そこにやり方の問題はあるが・・・。 でも、どんな姿であれ、もう一度、ベト子に会いたい。 PR ↑ インドで住んでたところが徒歩2分で海でした。 しばらくはインド特集で。 普段は静かで穏やかな海ですが、 津波の時には、人が大勢死んだようです。 今日はその関連で。 もう2年半前の年末、 まだ覚えている人も多いと思うが、 スマトラ沖で、地震、そして、津波があった。 特に有名なのが、インドネシアやスリランカ、 タイ・プーケットの被害だが、 私がいたチェンナイにも (チェンナイは旧マドラス、インドの南東部) 津波が押し寄せ、人が死んだ。 私が住んでいたときも、地震の1年半後だったが、 場所によっては、瓦礫の山のままのところが残っていた。 このブログを書くにあたって、久しぶりに調べなおした。 記事が出た時期にブレがあるのと、 未確認のまま、参考にした記事が出てしまい、 本当の様子と多少異なるかもしれないのをご考慮のうえ。 この地震、実はアフリカまで届いていて、 ソマリアでも数十人の死亡が確認された模様。 そして、チェンナイの死亡者も調べたが、 これが、記事が出た時期にもよってバラつきもあるのだが、 チェンナイを含む、タミル・ナドゥ州(南インド)での 死亡者は1万人から1万4千人超。 その3分の1は子供で、 子供が学校に行かない日曜日に地震が発生したことと、 陸まで逃げようとしたが、抵抗力のない子供や女性が 波に飲み込まれたそうだ。 また、子供以外の死者は、 多くは漁民と、住むところがなく、 海で寝泊りしている人だったそうだ。 前にインドで教えていたときに、 学生がこの津波について、スピーチをした。 津波があったときの状況や、 死者、その後の復興の様子などを話してくれた。 でも、気になるのが、最後のまとめ。 悪いことをしないのに、死んだ人は本当にかわいそうです。 でも、死んだ人の中には、ものを盗んで生活している人もいたので、 そういう人は死んでよかったです。 気になって、しばらく、考えていた。 はっきりとした物言いだが、 根は優しい友達思いの彼が、そんな考えをするのかと。 まあ、インドだしな、なんて、思いながらも軽く聞いてみた。 ここら辺の会話は、日本語なので、 真意が伝わってないかもしれないし、私なりの解釈もあり。 彼が言いたかったのは、 ものを盗んだりした人は早く死んで、 もう一度、生まれ変わったほうがいいと。 ①いい解釈 カーストが低く、そんなところでしか生活できないのだから、 来世でもう一回やり直したほうがいい。 ②悪い解釈 そのまんま。 悪いことをした人は、現世で生きる資格なし。 どうせ、カーストも低いし、現世でがんばったってムリ。 これは文化の違いがあるので、コメントしづらいし、 カーストの問題は表向き、なくなったという人もいるけど、 そんなことはなく、やっぱり生活に根付いている。 あの夏、いちばん静かな海でした。 ↑ よく出てくる警察学校の卓球友達。 ボートレースの警備に借り出されて、 また、学校に戻っていく別れの日の朝の一コマ。 今まで、フリースクールにボランティアに来てくれた人は、7人。 実は、今までボランティアに来てくれた人と会ったことはなかった。 メールのやりとりと、スタッフからの報告だけで。 ただ、いつも思うのは、 メールのやりとりから、みんなしっかりした人だという事。 というのも、私は来たメールに対して、けっこう長いメールを返す。 そのメールに、みんなしっかりとしたメールを返してくれる。 そのメールを見ると、なんとなく人柄が見えてくる。 そして、あとはスタッフからの報告で。 こんな人でしたとか、こんなことを教えてくれましたとか、 自分はこれが勉強になりましたとか、 子供たちが喜んでましたとか。 最初にボランティアに来てくれた人は、約1年前。 最初のボランティアの人が来てくれたときなんて、 子供たちはかなりおっかなびっくりだったみたいだけど、 何日か一緒にいて、 日本人って、こんな感じか、とちょっと慣れたみたいで。 次のボランティアの人たちが来たときは、 その慣れるまでの時間が短くなってきて、 ボランティアというより、兄貴に近くなったみたいで。 そして、徐々に慣れてきて、 今回ボランティアの人が来てくれたときには、 かなりウェルカム体制が整っていたとのこと(ボランティアの人談)。 ボランティアの人たちのおかげで、 子供たちも学校も成長しています。 本当に感謝しています。 暑い中、汗をかいて、いろいろしてくれたという話を聞くと、 頭が上がりません。 必ず、また遊びに来てください。 お待ちしています。 ↑2回目の登場。 ラオスで一緒に働いていたスタッフの子供。 写真好きで、ポーズもばっちり。 なんか接続が悪くて、久しぶりの書き込みに。 書き込みどころか、ブログにすら、たどり着けませんでした。 書きたいことがたまっているので、 この休みに、しょこたん並みに書き込みます。 大好きなカンボジアの人気歌手 (ちょっと前までは1番人気があったけど、今は少し落ち着きが・・・) プリアップソヴァットの歌を聴きながら。 ちなみに、自分の学生に、彼の電話番号を教えてもらいました。 聴くと、懐かしい気分になれます。 さて、私事ですが、今日は誕生日で、31に。 31にもなっても、成長もなく、 学生が開いてくれた誕生パーティーで、食べかつ飲み、 かなりおなかがきついまま、ほろ酔いで帰宅。 いい感じで、ブログ書き込み中。 実年齢と精神年齢の若干のギャップはあるんだけど、 31に見合うような人物になりたいと思う。 子供たちと一緒に楽しめるエネルギーと スタッフたちとフリースクールをしっかりまとめられる力。 この二つが身についたら、いいのに。 前者はいい線までいっているが、 後者ははっきり言って、かなりスタッフに助けられている。 最近、ボランティアに来てくれた大学生たちと メールをしたり、話したりして、 かなりパワーをもらっている。 みんな朝から夕方まで、子供と遊んで、全然負けていない。 私なんか、完全に子供たちに敗北なのに。 まあ、それは冗談として、 私に、そんなボランティアのみなさんのような若さが あるかというと、かなり疑問符だが。 自分なりのやり方と数少ない経験をフルに利用して、 子供たちを接していきたい。 31歳出来ちゃった結婚、32歳出産が夢、の私を フリースクール同様、温かい目で見守ってください。 ↑ むかし住んでいたラオスの村のサッカー大会。 近所の小学校、中学校のメンバーフル動員で、 7,8チームのトーナメント戦でした。 国によって、いろいろな文化もあり、 それぞれの国の数だけ、食べ物の文化もあり、 すごい数の料理がある。 私が食べた中にも、不思議な組み合わせの食べ物がある。 今日はそれを書いてみたいと思う。 まあ、出だしは東南アジアでは定番の 果物に塩、唐辛子、味の素を混ぜたのをつけて食べるもの。 これは本当に定番で、 青いマンゴー、パイナップル、グァバ、なんかが、よく使う。 スイカに塩をつけるのと同じノリだろうけど、 そのまま食べるほうがおいしいと思うのは、 やはり日本人だからか。 次に、インドのヨーグルトごはん。 ご飯にヨーグルトをかけて、 人によって、塩や砂糖をかけて、手で混ぜて食べる。 意外とさっぱりと食べられて、暑い夏にはいいかも。 日本に来てお金がないインド人がよく食べてる。 これは、私も好き。 ラオスでよく食べてた、 もち米とバニラアイスを一緒に食べる組み合わせ。 日本にだって、米のアイスがあるぐらいだから、 普通においしい。 最後にカンボジアの、スイカをおかずにご飯を食べること。 これもけっこう定番。 ちょっとしょっぱい焼き魚のおかずの時は、 この組み合わせはよくある。 最初は抵抗があったが、今はけっこう平気。 いろんな食文化があるけど、 私が不思議だなと思ったのが、 みんなご飯+アルファで、 それぞれの国の人が、いろいろなものをおかずにしてみたり、 ごはんと組み合わせてみたりしている。 アジアではご飯というのは、本当に食を支える 重要な役割を果たしているのだろうと。 |
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