カンボジアでフリースクールをやってます。
スタッフと私の奮闘記です。
× [PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。 ↑ 5月に子どもの日のパーティーをしたときに、 支援者にもらった水筒を、今も大切に使っています。 まだ、暑い日は続いているので、 うちから水を持ってきて、勉強の合間に飲んでます。 世の中つながってるその3。 ちなみに、その1↓ http://cambodia.blog.shinobi.jp/Entry/162/ その2↓ http://cambodia.blog.shinobi.jp/Entry/172/ 勤め始めたカンボジア人教師のみの学校。 この中に、日本人女性と付き合っている(と言っている) 教師がいた。 アンコールワットの町、シェムリアップでは、 旅行ガイドとか、ホテルやゲストハウスのスタッフ、 バイクタクシーのドライバーまで、 日本人女性と付き合っている男の人は多い。 (旅行に来て、知り合って、その後、遠距離とか) でも、プノンペンで、日本人女性と付き合っている カンボジア人は少ないように思う。 その当時、もうすぐ日本に行けます!と張り切っていて、 私と話して、会話の練習なんかをしていた。 その後、行けたかどうかは、分からないけど。 日本人と付き合う→日本に行けるという思いは みんなにあるようだ。 カンボジア人にとっては、まだまだ夢の国。 さて、戻って。 その学校で働くこと3ヶ月。 学生にも慣れ、なんとなく、下地もできたので、 後は彼女を待つのみ。 私も、その時は、生活費はかなりの持ち出しをしていたので、 帰国日の調整もしなくちゃいけなかった。 しかし、待てど暮らせど、彼女からの連絡がなくて、 どうしようと思っていたところ、連絡があって、 カンボジアに来る日が遅くなるので、 ゴールデンウイークの前に引継ぎを終わらせる予定が、 引継ぎをする時間がほとんどないと言う。 その後、彼女もカンボジアに来て、 しばらく私の家に、同居。 結局、2日ほどで、引継ぎをして、 なぜか、私が契約書類の作成をして、 後は、彼氏が生活のサポートすると言うので、 新しい家も決め、 カンボジアでの彼女の新生活サポート。 私も何日か後に、帰国。 その数ヶ月後に、二人はプノンペンで結婚式をあげた。 てっきり幸せに暮らしている、と思いきや、 彼女が肝炎にかかって、日本に帰ってるという話を 風のうわさで。 その後、彼氏のほうに紹介したい仕事があって、 知り合い一同、二人がどうしているか、 一斉調査をしたのに、全然行方が掴めず、 彼の田舎にでも、行ったのかな?なんてうわさをしていた。 すると、静岡に住んでいる、私の飲み仲間の姐さんの 学生として、彼氏のほうが、日本語学校で勉強している、と言う。 いや、世の中はつながっている。 最近、静岡は何かつながりは感じている。 私が今、働いている会社は、静岡に大きい工場がある。 自分の学生がスピーチコンテストに優勝したけど、 仕事の関係で、副賞の日本研修旅行は キャンセルせざるをえない、と思っていた。 すると、研修旅行のスポンサーの団体が、 富士の団体なので、静岡工場勤務をしながら、 調整できないか、と言ってきた。 会社のほうも、大使館側からのプッシュもあり、 平日は工場研修、週末を利用して、 日本研修(観光)をできるように、調整中である。 世の中、つながっている。 そうやって、世の中を泳いでいる自分。 PR ↑ ボランティアの方が教えてくれたのであろう、ラジオ体操。 スタッフも覚えました。 子ども達も体を動かすのは大好きなので、 クリスマスプレゼントに、卓球台を購入予定。 本当はパソコンも欲しいので、 どうしようか、悩みどころ。 いやー、前編は、スピーチコンテストの前で、 間が入ってしまって、ついつい違う話題になってました。 前編↓ http://cambodia.blog.shinobi.jp/Entry/162/ ラオスで飲み仲間だった姐さんが、 日本に戻って、日本語学校に勤めだしたら、 その学生が 知り合いのカンボジア人(奥さんが日本人)だった話。 前編は、彼女がカンボジアに住むのに、 仕事を探していたトコまで。 そう、彼女が仕事を探していたので、 私が働いてほしいと言われていた学校を紹介した。 (実は、この学校は、経営と運営の責任者の二人責任者体制で やっていて、この運営責任者が、今のフリースクールの運営スタッフ。 私のことを引っ張ってもらって、 逆に、後に、彼を引っ張ってきた。) その時のその学校は、カンボジア人教師のみの学校で、 そこそこの学生数がいたが、 日本語を勉強しても、話せる学生が少ないので、 日本人教師を探していて、 その運営スタッフに過去に日本語を教えていた私に 白羽の矢がたった。 でも、その時は、長いことやってほしい、という彼の意見と、 私の長くいても、3ヶ月がリミットというので、 話の折り合いが、つかないので、断っていたものだ。 さて、私が彼女に、その運営スタッフを紹介して、 彼女が、カンボジア人彼氏と二人で、会いに行ったので、 私は当時の同僚の先生と、クリスマスパーティー後の片づけをして、 (クリスマスパーティーの時は、スタッフもどんちゃん騒ぎなので) 朝食を食べ、コーヒーを飲んでいた。 そこに、彼女とカンボジア人彼氏が。 すると、仕事を決めてきたと言う。 その条件がびっくり。 彼女はゴールデンウィークの4月下旬に、 カンボジアにうつり住む予定。 それで、それまでの間、2月から4月の3か月は、 私は下地作りをしておいて、ちょっと基盤ができたところで、 彼女が教えるというもの。 私、何も言ってないんですけど・・・。 確かに、前に、その運営スタッフには、 自分は、持ち金の関係もあって、 3ヶ月ぐらいしかいられないから、 長く続ける仕事はできない、と言って、断ってたけど。 その時は、自分もクメール語がそこそこ話せていたので、 学生受けもいいだろう、という読みで、 私を高くかってくれてたのは、うれしいけど。 誰か、一言、私に聞いてからがマナーでしょ・・・。 まあ、そこからが、私の頭の悪いところなんだが、 結局、その話を受けてしまい、 2月から、当時働いていた学校と、その学校での仕事を するようになった。 そして、3月からは、その学校の専任で。 実際、その学校で働けたのは、 自分にとってはすごくいい経験で、 自分のクラスのほかにも、 いろいろなクラスに出入りしては、学生と話すようにしていた。 その前に働いていた学校が、 比較的お金持ち層の学生だったのに比べ、 新しい勤務先の学校は、普通の学生が対象。 学費も1ヶ月10$→5$へ。 (1日1時間、1週間に5回、1ヶ月の学費) この時はカンボジア人教師とも、すごく仲がよくて、 よくご飯を一緒に食べていた。 それはいいとして、いつも話がずれる。 その3へ。 ↑ なつかしの2年前のクリスマスの写真が、 整理したら、出てきたので。 今は、壁もレンガを積んでセメントで固めて、 白く塗った壁とベニヤでできていますが、 この頃は、竹で編んだシートを使っていました。 ちょっと、今日はまだ仕事が残っているので、 微妙ニュースを一つ。 プノンペン――カンボジアの航空行政当局者は 18日、首都プノンペン近くの 米作地に輸送機が17日夜に墜落、 乗員のウズベキスタン人2人が負傷した と述べた。 衣類約11トンを積んでいたが、半分相当が水浸しになったり、 近くの住民が現場から持ち去ったという。 事故機はロシア製のAN─12型機で、 ウズベキスタンの乗員5人が搭乗、 シンガポールへ向かっていた。 詳しい事故原因は不明だが、離陸から約 1時間後、 機器故障の連絡があったという。 プノンペン空港へ戻る途中で墜落した。 米作地へ緊急着陸を試みたとの 情報もある。 墜落して、ケガ人だけで済むなんて、すごい。 というか、衣服持ち去り。 気になるのは、そっちなのは、私だけだろうか。
↑ 親孝行というタイトルなので、地元山形の冬の風景を。 山形はやっぱり、好きです。 そろそろ帰ってもいいかなと思うのは、 年をとったからでしょうか。 さて、皆さんは、親孝行というと、 どんなことを思い浮かべるだろう。 今日の授業で、親孝行という言葉が出てきて、 親に対して、いいこと、親が喜ぶようなことをすることと説明した。 例を出してみて、と言って、 私の頭に浮かんだのは、 家事を手伝ってあげる、とか、旅行に連れてってあげる、とか。 よく電話をしたり、誕生日などに、プレゼントをあげるのもありか。 すると、学生の答え。 1、早く結婚すること 2、男なら、結婚して、両親と一緒に住むこと。 女なら、家が近い人と結婚すること。 3、男の子を生むこと。 みんな、私より、考えが大人だわ・・・。 |
カレンダー
リンク
カテゴリー
フリーエリア
最新コメント
[11/15 SLT-A65]
[10/11 NONAME]
[10/11 NONAME]
[10/11 NONAME]
[01/24 kansuke]
最新トラックバック
プロフィール
HN:
なべぞう
性別:
女性
ブログ内検索
カウンター
アクセス解析
アクセス解析
|